マツダの歴史を、もう少し立体的に見るために・・・
マツダ本社ショールームへ行く機会がありました。
マツダの歴史の展示もあり、マツダ公式Webには、私が深く関与した初代MPV、2代目キャロル、ボンゴフレンディ、初代デミオが、それぞれマツダらしい個性を持った車として紹介されています。
その記述は簡潔で的確ですが、実際にその企画開発に関わった立場から見ると、商品が生まれた背景や、企画と販売の間でどのような議論があり、どの発想が最終的に商品として残ったのかまで含めてこそ、マツダの歴史はより正確に見えてきますので、少し補足したいと思います。
初代MPVは、米国市場を強く意識して企画したミニバンでした。
当時のミニバンの必須条件といわれたFF、スライドドア、フラットフロアを採らず、実質的な使い勝手を高めた独自の商品として提案したところに、この車の意味がありました。
公式サイトにも記載されていますが、1988年に北米へ先行導入され、予想を超えるヒットになりました。
米国販売も、1988年5,717台、1989年37,277台、1990年43,147台、1991年48,144台と伸びており、初代MPVが北米で確かな成功を収めたことは販売実績からも確認できます。
貿易摩擦の文脈で、主査が法廷対応に追われるほど好調だったわけです。
一方で、日本市場への導入には温度差がありました。
当時、国内営業は「日本にはミニバンのような市場はない」と言っており、導入は本格展開というより、開発サイドの要望に応じて形を整える色彩が強いものでした。
レザーシート仕様で350万円のみのラインアップなど、マークIIのようなミドルクラスセダンからの乗り換えを十分に考慮したものではありませんでした。
その後、市場環境の変化を受けて価格や仕様の見直しが進み、モデル後半でヒットに結びつきました。
ホンダ・オデッセイが250万円前後を狙って大ヒットした後を追う形でした。
企画が先に市場を見ており、販売側がそれを後から追認していくという流れは、初代MPVの歴史を理解するうえで欠かせません。
当時その渦中にいた者として申し上げれば、初代MPVは、マツダの商品企画が市場の一歩先を見ていたことを示す代表例の一つでした。
2代目キャロルも、マツダらしい企画として大ヒットした車です。
軽自動車の荷室規制変更を業界でいち早く取り込み、競合が四角い合理デザインに向かうなかで、丸みのある意匠で独自性を打ち出しました。
しかもこの企画は、通常の社内プロジェクトでは差別化した案が出せなかったため、1983年入社の私を含む若手3人が、2週間で企画骨子と車両レイアウトをまとめたところから始まりました。
公式サイトにも、1989年設立のオートザムがキャロル発売を機に本格的な営業活動を開始したと記されています。
2代目キャロルのこの企画がなければオートザムチャネルはなかったと、山内専務はそう語っていました。
この車の企画開発をしている時は、楽しんでお金をもらえる、本当に良い仕事だと思ったものです。
ボンゴフレンディについては、公式でも「家族と仲間のためのレジャー基地」とされ、オートフリートップが商品価値の核として紹介されています。
その理解はその通りですが、あわせて補っておきたいのは、こうした発想が装備起点ではなく、クルマを移動の道具としてだけではなく、滞在の拠点として最高のものにするという思想から生まれたことです。
そのコンセプトづくりの原点には、M2で関わっていましたし、ボンゴフレンディはマツダの苦しい時期を支えた商品の一つだったと受け止めています。
M2については、Wikipediaの「M2(マツダ)」にいろいろ記載されています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/M2_(%E3%83%9E%E3%83%84%E3%83%80)
初代デミオもまた、当時の既存コンパクトカーの延長ではなく、新しい使い方の提案から生まれた車として見るとわかりやすいと思います。
M2時代の次期MPV企画の過程で、お客様から「小さなミニバンが欲しい」という声があり、それをコンセプトとしてまとめ、本社に提案しました。
その後、デザインは大きく変わりましたが、小さなミニバンという発想は商品に残ったと考えています。
ただし、その反映の程度については、プロジェクト関係者のあいだでもM2提案とのつながりはあまり認識されていないようであり、ここは私自身がそう考えている、という表現にとどめたいと思います。
公式サイトでも、初代デミオは「小さく見えて、大きく使える」パッケージの商品として紹介され、1998年3月には月間販売1万4千台超を記録したとされています。
当時のコンパクトカーは、安いことが中心で、乗って楽しいクルマとは言いにくいものでした。
だからこそ、小さくても広く使えて、前向きな気分になれるクルマが必要だと考えましたし、その発想がデミオのヒットにつながったと見ています。
こうして振り返りますと、マツダではいつも、企画者と販売チームの間に葛藤がありました。
それはマツダに限らず、新しい商品ほど避けがたいことでもあります。
ただ、マツダの場合、その葛藤が顧客志向とうまく組み合ったときに、ヒット商品が生まれ、初代MPV、2代目キャロル、ボンゴフレンディ、初代デミオもそのパターンにあったものです。
1990年代には、コンパクトで省エネのSUVも企画し、米国向けにも国内向けにも提案しましたが、どちらの営業部門からも、そんな市場はないと言われてプロジェクトは起動しませんでした。
しかし、その後のRAV4以降の流れは極めて強く、SUVは一つの流行にとどまらず、いまや世界の自動車市場の主流になっています。
自動車産業では、新しいジャンルが立ち上がる前には、それを市場として認識できないことが少なくありません。
イーロン・マスクがバッテリーEV/SDVを単なる環境対応車ではなく、高性能で所有感を刺激する魅力的な商品として構想し、強い発信力で市場と投資家を動かして大きな成功につなげたことを見ると、新しい価値は企画の中身だけでなく、それを社会に信じさせる力まで含めて初めて実現するのだと感じます。
振り返れば、企画の中身に加えて、それを通す力、人を動かす力の大切さもまた痛感します。
マツダがなんとか生き延びてこられたのは、時代の常識にそのまま従うのではなく、お客様の声を起点に、企画と販売がぶつかり合いながらも、新しい価値を形にしてきたところにあります。
これからも、時代の常識にとらわれず、独自の価値を織り込んだ魅力的なクルマづくりを続けてほしいと思います。
